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茨城県北地域を飛び出し、蔵見学を始めたSAKE MEGURI Hirokoです!

茨城県南地域・茨城県石岡市に存在する酒蔵『合資会社廣瀬商店』へのサケメグリ。

石岡市の副市長・根本博文さんよりご招待いただき、市長公室 秘書広聴課係長・片岡達也さんの運転で石岡市の酒蔵見学の旅へいってきました。

蔵の中をご案内してくださったのは、合資会社廣瀬商店の8代目専務・廣瀬慶之助(Keinosuke Hirose)さんです!
(8代目は、2022年より代表取締役に就任されました。)

前編の今回は、
「合資会社廣瀬商店までの道のり、周辺の環境」
「代表銘柄のご紹介」
「酒造り(洗いつけ~蒸米まで)」
となります!

 

合資会社廣瀬商店までの道のり

JR常磐線の上野駅から特急に乗車し乗り換えなしで約1時間でJR常磐線の石岡駅に到着。
石岡駅からタクシーで約10分(徒歩で約60分)のところに廣瀬商店があります。

ゆっくりのんびりと蔵を目指して行きたい場合には、上野駅から1時間30分かけて高浜駅まで普通列車・乗り継ぎなしで17駅。高浜駅到着後は、徒歩約7分で蔵へ向かいます。(高浜駅が廣瀬商店の最寄りの駅となります。)

廣瀬商店の位置ですが、わかりやすく解説すると・・・。

キツネのような形をしている霞ヶ浦。
そのキツネの右耳の先端あたりに廣瀬商店があります。

その先端となる川の名前は「恋瀬川(Koise River)」。
素敵な響き(*´-`)

 

合資会社廣瀬商店とは

筑波山の眺めが一番美しいと云われる常陸高浜という場所に位置する廣瀬商店。
かつては霞ヶ浦の水運の拠点として栄えた場所です。

この恋瀬川は、その昔、日本酒のみならず味噌・醤油などを運ぶ水運として重要な役割を果たしていました。

合資会社廣瀬商店の創業は、今から214年前の1805年。
200年以上も酒造業を続けている老舗の酒蔵さんです。

合資会社廣瀬商店の主力ブランド(代表銘柄)は、

  • 精選 白菊(Seisen SHIRAGIKU:せいせん しらぎく)
  • 白菊 大吟醸(SHIRAGIKU Daiginjo:しらぎく だいぎんじょう)

その他の銘柄には、

  • 純米吟醸 つくばの紅梅一輪(Tsukuba no KOUBAI-ICHIRIN
  • 柚子しらぎく(Yuzu SHIRAGIKU

などがあります。

大吟醸酒や代表銘柄の精選白菊には、原料に使うお米の生産者と直接契約し独自のお米を仕入れ「原料品質」にこだわり、より良い酒造りを目指しています。

廣瀬商店玄関を出て目の前の道路を挟んだ先(南側)には「高浜神社」が存在し、廣瀬商店の北側には大きな竹やぶがあります。

その竹やぶの先には、権現山1号墳と権現山2号墳と呼ばれる古墳があります。

なぜこの地に酒蔵ができたのか?が、よくわかる配置!
霊剣あらたかな場所であることがわかります。

 

 

廣瀬商店の蔵見学は歴史とリンクしたサケメグリ!

廣瀬商店では、11月から翌年3月まで約5ヶ月間が造りの時期となっています。

訪問したのは7月でしたので、酒造りが想像できるパネルをたくさん見せていただきながら、蔵内をめぐっていきました。

年間約60件、人数でいうと約1,000名の蔵見学者が訪れるという廣瀬商店。
石岡市内で観光バスが駐車できる酒蔵は廣瀬商店のみだそうです。

最初に拝見した場所は、蔵入り口の杉玉がかけられた場所からすぐ右にある「震災で崩れた土蔵蔵」。

土に竹を組み、壁をつくっていた昔ながらの土蔵蔵ですが、2011年の東日本大震災により壁が崩れ落ち、蔵内が土の山に。

この土蔵蔵は日本酒を冷蔵するためのタンクが貯蔵されている場所ですが、震災が発生した際、タンクも含めて土の山と化してしまいました。

土を移動させるにも土埃がたくさん舞い、スコップで土を避け、人力車でひいて、水をかけながら土を運び3年かけてようやく使えるようになったそうです。

土蔵蔵の歴史に合わせて、日本酒業界を振り返ると、1975年(昭和50年)が日本酒生産のピークであり、その当時、茨城県内の酒蔵では、10,000石を生産する酒蔵が平均的だったそう。

ピーク時、廣瀬商店の最大石数は6,000石。

廣瀬慶之助専務が蔵に戻ってきた頃には2,000石作っておりましたが、現在の生産量は300石ほど。

日本酒業界全体の消費量で換算すると、ピーク時の1,000万キロリットルから、現在は300万キロリットルまで落ち込んでいます。

日本酒の生産量が減少した理由としては(Hirokoの私見も入りますが)、

  • 家で飲む状況が少なくなってきたこと
  • 会社の上司と飲みに行く機会が減ったこと
  • 半世紀前から吟醸酒の技術革新が進んできたこと
  • 普通酒等の大量消費「量」の時代から、吟醸酒等「質」の時代になってきたこと

が大きく上げられます。

江戸中期は、日本全国27,000件も酒蔵がありました。

当時、陸での輸送ができない時代だったため、街には清酒を供給している蔵が近所にたくさんあった時代。

昭和初期には10,000件に減少。

その後、世界恐慌の煽りを受けて5,000件までに落ち込み、海外からのワイン、ビールの台頭により、現在の全国の酒蔵件数は1,500件ほどとなってしまいました。

その当時、茨城県石岡市は関東の灘と呼ばれるほど酒処でした。

  • 水運の拠点であったこと
  • 醸造に適した良質な水が採取できたこと

この2つの理由が大きなアドバンテージになり、石岡市では酒蔵に加え、味噌や醤油など発酵文化も発展していきました。

水深10-15mといった浅水でも醸造に適した美味しい水が採れ、霞ヶ浦のは水運の一大拠点として栄えたこともあり、遊郭もあったそう。

たくさんの商人がそこかしこに集まり、毎日浴びるように日本酒を楽しんでいた姿が想像できますよね。

 

廣瀬商店の日本酒造り(洗いつけ~蒸米まで)

廣瀬商店では、酒造りが始まる11月に、その年の新米を使って、その年の一番最初に酒米を洗う日を「洗いつけ」 と表現します。

洗いつけの儀式では、祭壇をつくり、神主さんを呼んで、お祓いをします。

洗米の工程では、一度に5-7kgの酒米を洗米。
複数の種類の酒米を使うため、米の種類によって洗い方、浸漬の時間を変えていきます。

一番短くて10分、長いものは掛米にするもので30-60分。

麹を作るお米に対しては非常にシビア。

酒造りは「一麹二酛三造」といわれるように、麹をつくる前段階の洗米と浸漬がその後の工程に影響を与える部分が大きく、最も慎重に行う場面。

玄米が100%だとすると8%を削っている食用米。
その一方で、大吟醸や純米大吟醸は50%以上削るため、米が小さくなり、割れやすく吸水しやすくなります。

気候・温度・湿度はその日によって変化するため、水の温度も米の温度に合わせる必要があります。

廣瀬商店では、15度の仕込水を事前にタンクへ入れておき、洗米した水とで温度調整を行なっています。

水切りネットで乾燥させた米をその後、甑の中へ約200kgずつ投入。
2つの甑で一度に炊けるお米はなんと1,500kg
(ちょっとまって、Hiroko 30人分くらいですかね?うーん入れそうかな(*´-`)?)

1時間かけて米を蒸し、ボイラーを使い配管を通って蒸気で炊きます。

昔は和釜で蒸しており、釜場は煉瓦作りで半地下でしたが、現在は和釜職人がいないため、和釜で米を蒸している蔵はなかなか貴重ではないかと慶之助さん。

米が蒸しあがったら次は麹造りへ。

続きは後編で!

♦︎関連記事♦︎ 後編
・【県南酒蔵見学】合資会社廣瀬商店で醸造と唎酒で学ぶ旅!-後編-

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合資会社廣瀬商店 / Hirose Shouten
代表取締役:廣瀬 慶之助
創業:1805年(文化2年)
設立:1935年(昭和1081日)
住所:〒315-0045 茨城県石岡市高浜880
TEL0299-26-4131
FAX0299-26-6699
Webhttp://www.shiragiku-shuzou.co.jp
E-mailhttps://shiragiku-sake.jp/contact/
蔵見学:可能(電話にて要予約)。
月曜~金曜・9時~16時、土日、祝祭日は休み
但し11月~3月の期間中は、
12/281/5を除いて土日も見学可
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